書評『日本国紀』百田尚樹

歴史から学ぶとはなんなのだろうか。

学ぶべき歴史とは、一つのまとまった民族の歴史だ。

民族は国家を作ってしのぎを削ってきた。

国家を興せば滅亡もする。

滅亡した時に歴史は終わる。

滅亡しなかった理由は学ぶ価値がある。

滅亡した理由は教訓になる。

前者は成功体験で、後者は失敗談だ。

明治維新立憲君主国家再興の歴史だと思うので

第八章から成功体験か失敗談かを判別していきたい。

 

日本国紀

日本国紀

 

 

 

第八章

戊辰戦争

 戊辰戦争のみならず、大政奉還から新政府軍による

 粛正とも呼べる執拗な追撃が行われた。

 優秀な人物が殺されたこともあり、失敗談という評価にしたい。

 また、靖国神社には戊辰戦争の賊軍や伊藤博文

 大久保利通なども祀られていないとコラムにある。

 祀るべきではないかという問いかけには、その通りだと答えたい。

 

五箇条の御誓文

 これは敗戦の折、日本人のよりどころになる。

 内容は、話し合いを推奨し、身分に関係なく国を治めるというもの。

 民主主義を意味している。

 古来からある誇るべきものなので、成功体験に分類できる。

 

日本大改造

 江戸の名称変更・廃城令は日本の歴史ある文化を損なうとして失敗談である。

 岩倉使節団が、ビスマルクから国際法の導入について助言をもらう。

 これは貴重な助言で、軍事力を背景に外交を展開する世界を教えてもらった。

 成功体験である。

 

驚異の近代化

 鉄道・銀行・富岡製糸場・鉱山・教育・身分制度改革・地租改正・

 徴兵制・西洋文化の強制・旧暦の廃止など。

 五年で日本は作り替えられた。

 日本は天皇陛下が存在するからといって変化しない国ではない。

 その証明であり、成功体験であると思う。

 

明治六年の政変

 征韓論を端を発した土佐・肥前閥と薩摩・長州閥の争いだった。

 五箇条の御誓文にある万機公論が貫かれているようには思えない。

 派閥争いは、現代の政治にも見られる。

 政策を派閥間の駆け引きで決めるのは失敗談であり、

 未だに反省がなされていないと思う。

 

台湾出兵

 宮古島の島民が台湾に漂着したが、原住民に虐殺された。

 清へ抗議するが、台湾は統治外の土地として相手にされなかった。

 日本は台湾へ出兵した。

 この時に琉球王国の帰属を清と確認し、正式に日本の領土となった。

 台湾は清の領土であると認めさせた。

 離島の住人のために軍事力を使った報復をした。

 これは自衛権の発動であり、成功体験と言って良い。

 竹島拉致被害者の奪還は自衛行為である。

 成功体験に学んで欲しい。

 

朝鮮に開国させる

 近代的な国交を結ぼうとしていたが、

 砲撃を受けたので反撃した。

 それで日朝修好条規を締結させた。

 砲撃を受けて反撃したから外交を有利に進めたという、

 成功体験に違いない。

 なぜ竹島で同じことができないのか。

 憲法のせいである。

 

西南戦争

 明治六年の政変で書いたとおり、

 五箇条の御誓文から外れた行為である。

 失敗談であると思う。

 

 

第九章

立憲政治へ

 一部の重鎮たちが政治の実権を握っていた。

 五箇条の御誓文に従い、立憲体制を整えるための

 自由民権運動を弾圧しつつも国会の設置を目指した。

 成功体験と言っていい。

 

帝国憲法

 以前書評した『天皇は本当にただの象徴に落ちたのか』に

 詳しく、配慮がなされていることが書いてある。

 天皇の統治する根拠を神話に求めず、

 歴史という事実に基づいていることを確認したい。

 事実に基づく憲法は、成功体験である。

 ここに『君が代』に関するコラムがある。

 知らないことばかりで為になった。

 

不平等条約に苦しむ日本

 領事裁判権の撤廃に成功したが、

 関税自主権は得られなかった。

 経済発展の妨げとなることから失敗談になるだろう。

 国際条約の変更がいかに難しいかわかる。

 コラムにて鹿鳴館へ苦言を呈している。

 こちらも失敗談であろう。

 

日清戦争

 南下するロシアに備えるため李氏朝鮮を独立、

 近代化させたかった。

 李氏朝鮮は清の影響を強く受けており、

 朝鮮の保守派が暴動を起こしたとき、

 宗主国として清が出兵した。

 で、色々あって日清戦争を経て、

 ようやく日本は朝鮮を独立させた。

 このときに立てられたのが独立門である。

 今や朝鮮半島との関わりは、なんの恩恵もない。

 ロシアの南下を防げたかどうかで評価がわかれる。

 

三国干渉

 フランス・ドイツ・ロシアの干渉で、

 日清戦争で得た遼東半島の返還を余儀なくされた。

 ただ莫大な賠償金と還付金で日本の経済は潤った。

 勝てば潤うという成功体験となった。

 

蚕食される清帝国

 列強が清から領土や利権を獲得していく。

 日本は、台湾の対岸にある福建省保全を約束させていた。

 時代の流れに乗ったふるまいである。

 

義和団の乱

 清国内の失業者や難民を吸収して、

 またたくまに大きな組織になった。

 清政府は、義和団を支援し各国の公使館を包囲した。

 そして、欧米列強に宣戦布告した。

 列強により義和団は鎮圧され、清は列強の半植民地となった。

 この時点で成功体験かどうかわからない。

 コラムで取り上げられた柴五郎の話を読むとわかる。

 各国の公使館が包囲された時、籠城して救援を待った。

 そのとき活躍したのが柴五郎であった。

 個人の活躍ではあるが、成功体験であると思う。

 

火薬庫となる朝鮮半島

 義和団の乱のあと、ロシアが満州に居座り、

 満州還付条約を反故にして南下政策を内外に誇示した。

 このとき、新聞がロシア討つべしと戦争ムードを煽った。

 ロシアに日本と妥協する意志がなかったことを考えると仕方がない。

 この時の公論は、正しかったのだろう。

 

日露戦争

 日英同盟の甲斐があり、日本はロシア・清との

 一対二にならずにすんだ。

 これは外交の成功体験と言える。

 敵は、数の有利を整えて襲ってくるという教訓でもある。

 同盟は、そういうときに役に立つ。

 ここのコラムでも個人の成功体験がある。

 高橋是清という人物だ。

 

日本海海戦

 ロシアのバルチック艦隊を日本が破り、日露戦争で勝利した。

 日英同盟の影響で、ロシアはイギリス植民地の港に入れず、

 ボロボロの状態であったからだ。

 外交が戦争を有利にするという成功体験であろう。

 また、有色人種は白人に勝てないという思いこみを破壊した。

 同時に、白人から警戒されることとなった。

 

ポーツマス条約

 ロシアに戦争を継続する意志があったため、

 疲弊した日本はやむをえず実入りの少ない条件で

 講話を結んだ。

 大国と戦うということは、自衛以外にする意味はない。

 だけどもここで戦っていなかったら日本はなくなっていた。

 自衛の達成をもって成功体験である。

 コラムは日英同盟の重要さと、陰の立て役者の話である。

 

怒り狂う民衆

 ポーツマス条約で賠償金を得られなかったことに、

 新聞が政府を叩き、国民も政府を叩いた。

 日比谷公園焼討事件が発生した。

 国民にロシアと日本の国力の差を解説した新聞は

 なかったのだろうか。

 これが自衛のためであると、

 賠償金のためではないと、

 条約妥結の意味を正確に報じる新聞はなかったのだろうか。

 著者も新聞が国民を誘導した事例であると分析している。

 国民が新聞に騙された失敗談であろう。

 

韓国併合

 失敗談である。

 

不平等条約改正の悲願達成

 日露戦争での勝利により、

 日本は欧米列強との不平等条約を解消した。

 強い者が評価されるという常識の中で、

 弱いところから始まり強い者に追いつくのは、

 簡単ではなかったと思う。

 忍耐と研鑽の成功体験である。

 ご先祖様達が諦めなかったことを誇りに思う。

 

明治を支えた学者達

 この項目は成功体験がこれでもかと取り上げられている。

 コラムでは作家らしい言葉の変遷を紹介している。

 

 

第十章

清帝国の崩壊

 ここでは日本がイギリスとの同盟により、

 ドイツの租借地を攻撃した。

 世論は国益にならない戦争への参加に異議を唱えた。

 外交と国益を天秤に掛けた公論があったのだと思う。

 公論が正しい選択をしたため成功体験だろう。

 

戦後の世界

 戦争特需で日本は潤った。

 同盟を守り、犠牲も少なく得た。

 成功体験だろう。

 ただ、近代兵器による世界大戦の実相を学ぶ機会を逃した。

 欲を言えば、失敗談だろうか。

 

国際連盟の誕生

 戦勝国国際連盟を作り、

 ドイツへ過酷な賠償金を請求した。

 これが後に第二次世界大戦への引き金になる。

 日本は、パリ講和会議で人種差別撤廃条項を成立させようとした。

 アメリカをはじめとする五カ国の反対で見送られた。

 世界で初めて人種差別撤廃を言ったのは日本だった。

 人種差別をなくそうとする今日を見るに、

 間違ったことは言っていなかった。

 成功体験である。

 

アメリカの敵意

 ポーツマス講和会議で、日本とアメリカで

 満州の利権を分けるように覚書を作った。

 それを持ち帰ったのだが小村寿太郎が破棄した。

 自国の利益を優先に考えたのか、

 採算が合わないからか、

 どちらにせよ、アメリカを敵に回した。

 国益を優先するのが外交だが、

 一人勝ちを許さないのも外交だった。

 無用な敵意を得たと言うことで失敗談であろう。

 

二十一ヶ条要求に見る日本外交の稚拙さ

 袁世凱に頼まれて「要求」という形で

 条例を密約した。

 この事前の密約をばらされて、

 日本は侵略者扱いとなり、

 中華民国反日感情を高めた。

 外交の失敗談である。

 どうにも日本の周りには被害者になりたがる国が多い。

 そもそも被害者になった方が正当防衛が成立しやすい。

 それが外交であることを学ぶ必要がある。

 

ワシントン会議

 日本が保有する戦艦の比率を下げさせられたことと、

 日英同盟を破棄したことが失敗談である。

 日英同盟を破棄した理由は、

 四カ国同盟を結べば国際平和になると考えたからだ。

 自国の安全を担保しない平和とはなんだろうか。

 平和を叫び、国防をないがしろにするのは、

 現在進行する失敗談である。

 

大正デモクラシー

 普通選挙制度・市民運動労働組合・部落解放・女性の地位向上。

 雑誌や小説・野球大会・宝塚歌劇団・動物園・遊園地・レコード・玩具。

 現代に通じるものがたくさん生まれた。

 成功体験だと思う。

 

関東大震災

  ここで取り上げている自警団の暴走について。

 流言飛語やデマで罪もない人が殺された。

 ことの発端は、一部の朝鮮人が殺人・暴行・放火・略奪を

 おこなった事実である。

 災害大国において、災害中の非道は非常に嫌われる。

 これを学んで欲しいのは、日本人ではなく外国人である。

 普段は温厚な日本人が、激昂する事例である。

 失敗談であろうか。

 

昭和

 昭和4年にアメリカのニューヨーク株式市場が

 大暴落したことで世界恐慌が起き、日本の農作物の価格が暴落した。

 加えて、昭和6年に例外で大凶作となり、多くの娘が身売りさせられた。

 政府は、金融緩和と歳出拡大で景気回復を成し遂げたが、

 欧米諸国は不当廉売であると非難した。

 高橋是清が禁輸出再禁止を掲げて、管理通貨制度へ移行したことで、

 さらに欧米諸国との経済摩擦に繋がり、

 イギリスやアメリカはブロック経済を始めた。

 輸出にたよりすぎた上に、英米と足並みを揃えなかったこと、

 これらが失敗談であろうか。

 

統帥権干犯問題

 軍縮会議を受けて、国防に不安が残った。

 それを当時の野党が「統帥権」を干犯したと批判した。

 国防に直結する外交の悪手を天皇統帥権と絡めるという、

 国民の感情を煽る手法を取ったため、

 軍人と民衆が暴走することになった。

 これは公論ではない。暴動を背景にした脅迫である。

 失敗談だ。

 

満州事変

 中華民国の軍人と民衆の一部が、

 日本やアメリカ・イギリス・イタリア・フランス・デンマーク

 などの外国領事館と居留民を襲撃した。

 列強は怒り、イギリスとアメリカはただちに南京を砲撃した。

 日本は中華民国への協調路線を保つため、

 列強をなだめ、国民へは嘘の発表をし、

 真実を伝えようとする集会を禁止した。

 自国の外交方針を優先するために、

 国民を犠牲にした失敗談である。

 この場合の公論とは、列強と話すことであった。

 暴挙を許すことでは決してない。

 日本政府の外交では植民者を守れないと関東軍

 判断するのも無理はなく、満州を制圧する。

 関東軍に公論を待てというのは、筋違いであろう。

 

満州中華民国のものか

 関東軍の手動で満州国を建国した。

 列強が批判し、中華民国も自国の領土だと宣言した。

 リットン調査団の報告では、満州事変が

 起きる相応の理由はあったとしつつも

 満州国の建国は認めず、国際管理を勧告した。

 これを受けて日本は国際連盟を脱退した。

 外交で一人勝ちは認められない。

 外交のために国民を犠牲にすることは暴走を生む。

 外交外交、日本の外交を担当する大臣は、

 外交方針のために国民を犠牲にしてはならず、

 一国を甘やかすために他の国の怒りを無視してはならない。

 現代にも通じる失敗談である。

 

五・一五事件二・二六事件

 五・一五事件ではブロック経済を誘発した経済政策と

 ロンドン海軍軍縮条約で戦艦保有するを減らし日英同盟を破棄した。

 二・二六事件では南京事件で国民を犠牲にし、

 中華民国を甘やかすだけでなく陸軍の予算も減らした。

 軍の暴走は国民を犠牲にする政治のために起きたと言える。

 公論とは国民を豊かにし、国民を守るためであるとわかる。

 百田尚樹は彼らをテロリストと書いた。

 テロリストは暴力で政治目的を達成する者として使われるが、

 フランスの暴力革命・恐怖政治が元である。

 革命派が反革命派を虐殺することで恐怖政治が成立する。

 だれを恐怖させるのか。

 国民である。

 では、国民の為に怒りを表明した軍に対して、国民は恐怖するのか。

 五・一五事件で助命嘆願運動が起きたのはそういうことである。

 二・二六事件昭和天皇が鎮圧に乗り出したのは、

 失政に目をつぶり、国民の声に耳を塞ぐ行為である。

 昭和天皇にならい、軍人をテロリストと呼ぶ百田尚樹

 私は好きになれない。

 昭和天皇の行いが正しいのであれば、

 このあとの日本は公論に基づく政治が行われるはずである。

 ところが、二・二六事件の首謀者らが死刑になり、

 公論は失われた。

 信頼を失った政治家が軍を批判できないのは当然だと思う。

 統制経済言論弾圧など国民は富むことも守られることも

 なくなった。

 これは国民の失敗談であろうか。

 

ファシズムの嵐

 ここは主にソ連・ドイツ・イタリアのファシズムについて

 書かれているが、ドイツやイタリアの独裁者が

 正当な選挙で選ばれたことへ言及している。

 その後、ドイツの反ユダヤに少し触れているが、

 なぜ反ユダヤになったかは言及されていない。

 ここも検証が必要な歴史であると思う。

 

ドイツと中華民国の蜜月

 第一次世界大戦で、日本はドイツの租借地を攻撃した。

 その遺恨もあり、ドイツは技術を提供するかわりに、

 資源をもらうため日本を共通の敵として扱った。

 敗戦後のドイツの苦しみを思えば、恨まれても仕方ない。

 

暗躍するコミンテルンと中国

 中国共産党の成り立ちと国共合作の話だ。

 こちらでも日本を共通の敵として掲げて団結した。

 コミンテルンに発足された中国共産党は、

 昔から日本を敵にして国内の統制を保っている。

 中国共産党を警戒するのが外交と言えよう。

 

廬溝橋事件から支那事変

 ここで教科書に載っていない事件が記される。

 通州事件と呼ばれる日本人が中国人を警戒し続ける

 事件だ。

 日本人女性が、老人から子供まで性器を損壊される

 ほどの仕打ちを受けて殺された。

 この通州事件を受けて、緊張が高まり、

 日本軍と中華民国軍は戦闘状態に入った。

 ドイツ・アメリカ・ソ連中華民国軍を支援し、

 日本は相手の物量もわからないまま戦闘を継続することになる。

 国民を守るという公論は間違っていない。

 守る方法は、敵を追い払うか、国民を逃がすかという

 方法があったと思う。

 敵が多いとわかれば逃げてもよかった。

 失敗談である。

 ここのコラムは、中国の大嘘として有名な

南京大虐殺」についてである。

 

 

第十一章

全面戦争へ

 支那事変の翌年、昭和十三年に「国家総動員法」と

 呼ばれる法律が成立した。

 前述した統制経済言論弾圧の正体である。

 日本から公論は失われていた。

 

暴れるドイツ

 ドイツのチェコスロベキアへの要求から

 第二次世界大戦へと書いてある。

 ここのコラムには、ドイツで迫害されたユダヤ人を

 逃がした日本人のことが書かれている。

 個人の活躍である。

 

第二次世界大戦

 ドイツの進撃を見て日本陸軍内に

 便乗する声が上がり、

 新聞もそれを支持し、

 近衛文麿内閣が「日独伊三国同盟」を結んだとある。

 統制されているので公論とは言えない。

 失敗談であろう。

 日本はアメリカから陰に日向に嫌がらせを受けており、

 それを打開するために戦線を拡大していった。

 

開戦前夜

 アメリカとの戦争を回避しようとしていた政府に対し、

 新聞は弱腰と非難し、国民を煽った。

 アメリカは日本の事情を知って知らずか、

 ハル・ノートと呼ばれる文書を突きつけた。

 これは日本を徹底して苦しめる内容だった。

 一部に曖昧な部分があり、それを深く読めていれば

 戦争にはならなかったかもしれないらしい。

 だからと言って公論が戻るわけでもないと思う。

 失敗談である。

 

真珠湾攻撃

 ここで国民の失敗というのはない。

 真珠湾攻撃の前に宣戦布告をアメリカに手渡すことになっていたが、

 ワシントンの日本大使館員がもたついた。

 そのため日本は不意打ちをしたと言われ、

 アメリカが戦争に参加する理由を与えた。

 大使館員の失敗談である。


戦争目的を失った日本

 石油を求めて始めた大東亜戦争

 インドネシアの油田を占領した。

 石油を輸送するのに民間の船を調達したが、

 護衛をつけなかった。

 そのためアメリカの潜水艦にことごとく沈められた。

 兵站を軽視した作戦だった。

 軍の失敗談である。

 

ミッドウェー海戦と言霊主義

 失敗を認めない運営をしていたため、

 反省がなく失敗を繰り返した。

 ガダルカナル島で多くの犠牲を出した。

 軍の失敗談である。

 コラムも目を覆いたくなるゼロ戦の話だ。

 

無意味な戦い

 サイパン島が奪われて、爆撃機空爆圏内となった。

 講話をすべきと主張する岸信介と反対する東条英機

 閣内不一致で東条内閣は総辞職となる。

 いくらか現実が見えてきて公論に戻った。

 小さな成功体験である。

 

神風特攻隊

 シーレーンを守るためにフィリピンで、

 アメリカ軍に神風特攻隊を仕掛けた。

 予想外の戦果はあったものの敗れた。

 アメリカ軍が沖縄に向かっていた。

 戦艦大和と二千機の特攻機が沖縄を守るために戦った。

 後に、沖縄を捨て石にしたとのデマがはびこるが、

 沖縄出身の兵士が二万八千人以上、

 沖縄以外の出身兵士が六万六千人以上、戦死している。

 どこが捨て石だ。

 彼らは沖縄を見捨てなかった。

 立派な公論に基づく行動だった。

 その歴史を残したことは、成功体験であろう。

 

悪魔の如きアメリカ軍 

 自虐史観がひた隠しにするアメリカの所行が書いてある。

 空襲で非戦闘員を殺した。これは国際法に違反する行為である。

 原爆の投下は、早期決着ではなく、実験だった。

 日本人を使った実験だったのだ。

 コラムは、ポツダム宣言を受諾するときのことが紹介されている。

 昭和天皇二・二六事件以来、二度目の親裁を行った。

 本土決戦で日本民族が滅ぶことを危ぶまれた。

 国民を守るための公論に基づくものだった。

 皇室の成功体験だと思う。

 

第十二章

連合国軍による統治

 前にも書いたようにポツダム宣言受諾は、

 公論に基づくものだと思う。

 

日本国憲法

 敗戦して連合国軍が占領した。

 日本に主権はなく、公論などあるはずもない。

 すべてが他人の手に委ねられた状態だった。

 その状態で作られたのが、今日の問題にもなっている

 日本国憲法だ。

 百田尚樹は読者に呼びかける。

 ハーグ陸戦条約には、戦勝国が敗戦国の法律を

 変えることは許されないと紹介している。

 今の日本には胸くその悪い憲法が居座っているのである。

 

極東国際軍事裁判

 ここも自虐史観では語られない部分だ。

 まず近代刑法では、後からできた法律、

 事後法によって人を裁くことは認められていない。

 そして、事後法で裁くために開かれた極東国際軍裁判所条例というのは、

 行政命令で国民を裁く法規命令ですらなかった。

 こういう裁判と呼べない私刑に近いことで、

 軍人たちは裁かれた。

 この裁判で判事を務めたインドのパール判事は、

 戦勝国による事後法で裁くことは国際法に反するとして、

 全員の無罪を主張してくれた。

 彼は恩人であろう。

 コラムでは、敗戦を迎えた現地で悲惨な目にあった

 軍人・民間人のことを書いている。

 特に女性が悲惨な目にあった。

 公論はなく、受け止めるしかない。

 

生き残った靖国神社

 カソリック神父らが意見を求められ、

 いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して、

 敬意をはらう権利と義務があるとし、

 靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、

 アメリカ軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るであろう。

 この意見が採用されたかわからないが、

 靖国神社は今日も残っている。

 キリスト教の国が原爆を落とし、靖国神社を守る。

 複雑な感情しか残らない。

 現代では、靖国神社へ難癖をつける輩がいる。

 彼らは日本国民の権利と義務を無視している。

 また日本軍は、倒した敵兵を弔っていたことを紹介している。

 これは軍人の成功体験であろう。

 コラムには昭和天皇と戦争責任について言及している。

 

ウォーギルト・インフォメーション・プログラム

 戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画。

 これは、日本国紀を作るきっかけをもたらした

 アメリカ人のケント・ギルバート氏も認める所だ。

 GHQは、思想や言論を管理していた。

 出版物や表現活動は、検閲や焚書を受けていた。

 GHQが間違っているという情報は、日本人に伝わらなかった。

 また、この検閲や焚書にはあろうことか

 日本人の協力者がいた。

 本書によると東京大学文学部らしい。

 敗戦後とはいえ、祖国を痛めつけるために日本人が協力した。

 失敗談である。忌むべき人間性である。

 彼らは靖国神社に祀られるべき人間であろうか。

 

『眞相はかうだ』による洗脳

 ラジオ番組『眞相はかうだ』で、

 GHQが台本を書いた腐敗した軍部の真実を放送した。

 国民対軍部という構図を作り、

 罪悪感を植え付けつつも、責任は軍部に取らせた。

 ウォーギルト・インフォメーション・プログラムで、

 情報の検閲や統制がされているので

 国民は与えられた情報が正しいのか検証することができなかった。

 誤った情報を鵜呑みにした失敗談であるが、

 当時の人たちにどうにかできることでもなかった。

 

教職追放

 GHQに批判的な立場、帝国大学で指導的な立場、

 そういう教授を次々に追放した。

 変わって共産党員や無政府主義者を教授に置いた。

 また、教職追放をみて宗旨替えする教授も現れた。

 日本の教育はGHQに都合が良い人物だけに固められた。

 そこ学んだ人間が、日本が悪いと考えるのは当然だった。

 教育を則られた失敗談であるが、

 これもまた当時の人にはどうにもできないことであった。

 

公職追放

 政治家・軍人・作家・新聞社社長・映画監督など、

 GHQに批判的な立場の人が仕事を失った。

 言論を統制するために、言論・表現分野の人物が狙われた。

 真実を追究する精神はねじ曲げられた失敗談である。

 コラムはスパイと洗脳について書かれている。

 ここからは持論になるが、

 教育と洗脳は紙一重であると思っている。

 母国を良いと教えるのが教育で、

 母国を悪いと教えるのが洗脳である。

 

占領軍と朝鮮人の犯罪

 占領中に、アメリカ兵に殺された日本人は四千人近く、

 強姦された婦女子は記録されているだけでも二万人にのぼったとのこと。

 また、GHQ朝鮮人を日本の奴隷と勘違いしていたらしく、

 戦勝国民として無法な振る舞いを放置していた。

 が、あまりにもひどいため、後に治外法権の地位でないと訂正している。

 このとき、朝鮮人は、日本人の土地を奪っている。

 アメリカ兵や朝鮮人の無法を日本の警察は取り締まれなかった。

 軍隊が負けるということ、軍隊がないということ。

 どちらも恐ろしい結末にになることをここから学ばねばならない。

 失敗談だ。

 コラムは、教職追放・公職追放社会主義者共産主義者が、

 一大勢力をもったことが書かれている。

 

日本改革

 GHQが五大改革と称し、経済の民主化を行った。

 経済民主化は、財閥の解体と農地改革であった。

 百田尚樹は、これらを説明した後、

 「平等性と自由競争に富む社会になったといえなくもない」

 と戦前と比較して、暗に肯定している。

 過去を否定したところで、現在が変わるわけではない。

 ただ、過去を肯定したとして、現在が好きかと言われれば、

 好きではない。

 万機公論に決すべしの公論とは、

 国民を守り、国民を富ますことである。

 しかしその前提は、日本国民が話し合ってこそである。

 連合国に好き勝手にさせて、公論と呼べるものではない。

 現在でどんな恩恵を受けようとも、恥ずべき失敗談である。

 

華族制度の廃止

 元公家、江戸時代の大名家、維新の功労者が

 爵位を持っていた制度が華族制度である。

 連合国の感覚で身分制度を裁いたのである。

 GHQの書いた日本国憲法で廃止された。

 余計なお世話だった。

 私は、華族制度のある現代を見てみたかった。

 これは成功体験でも失敗談でもない。

 コラムは、マッカーサーについて書かれている。

 

第十三章

独立するアジア諸国

 日本が石油を求めて植民地を解放したことで

 自信を持ったアジアの国々ある。

 独立に関わった指導者たちの言葉を引用してある。

 日本が人種差別をはねのける助けができた。

 成功体験であろう。

 

再び混乱する世界

 ソ連が東ヨーロッパの国々を共産化する動きをし、

 西側諸国がNATOを作り、ソ連側もWTOを作った。

 中国では蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党

 内戦を再開した。

 日本を共通の敵として中国を支援したのは

 ドイツ・アメリカ・ソ連だったことを思い出して欲しい。

 日本とドイツがなくなり、本来の敵同士が浮き彫りになった。

 そしてどこにも共産党員が絡んでいるのだ。

 このとき、北朝鮮も生まれた。

 日本国紀では、ソ連に思想教育された人物・金成柱が

 金日成として送り込まれたとはっきり書かれている。

 

日本独立

 昭和二十五年、ソ連の支援を受けた北朝鮮

 韓国へ侵攻して朝鮮戦争が始まる。

 アメリカは連合国軍として韓国を救援した。

 北朝鮮軍を押し返したが、ここへ中国の人民解放軍が加わった。

 これにより戦争が長期化し、アメリカ軍への軍事物資を

 供給するために日本の経済が息を吹き返した。

 日本が主権を取り戻す期日は決っていなかったが、

 共産主義国家の動きに合わせてアメリカは決断した。

 サンフランシスコ講和条約を締結させて独立させようとした。

 ソ連は、日本が西側へ組み込まれることを嫌がり、

 日本のコミンテルン(国際共産主義者)へ講和条約を阻止させようとした。

 野党の日本社会党日本共産党が講話締結に反対した。

 東大総長などの教職追放や公職追放で地位に就いた者も反対した。

 朝日新聞をはじめとするマスメディアも反対した。

 公論の前提である国民の議論に見えるが、

 国民を富ませる、守るために主権を回復するのは当然なのだ。

 それに反対するのは、公論に反する。

 共産主義とは、公論の敵であるとわかる事例だ。

 昭和二十七年、サンフランシスコ講話条約が反抗し、

 日本は主権を取り戻した。

 コラムは、東京裁判で戦犯扱いされた人々の早期釈放を

 求める話だった。

 サンフランシスコ講和条約に基づき、どの国からも反対されず、

 戦犯とされた人々は赦免された。

 共産主義で公論を妨げられる失敗談であり、

 日本のために戦った人たちを戦犯から救い出した

 成功体験が書かれている。

 

日米安全保障条約

 日本国憲法では、軍隊を持つことができない。

 サンフランシスコ講和条約で日本から占領軍が撤退すると

 国民と国土を守ることができないとなり、

 日米安保条約を結んだ。

 この最初の安保条約は、アメリカに有利なもので、

 日本にとって国民と国土の安全を保障するものではなかった。

 昭和二十七年、韓国の初代大統領が李承晩ラインという国境線を

 かってに日本海へ引き、そこを越えたといって

 日本の漁船を取り締まるようになった。

 つかまった漁師は拷問などを受けた。

 昭和三十五年に日米安保条約が改正されて

 国民と国土を守ることができるようになった。

 この改正に反対したのは、ソ連や中国の共産党

 呼びかけに答えた人たちだった。

 日本の公論にソ連や中国の意向を持ち込んだのは、

 マスメディアと大学の教授、そして労働組合であった。

 国民を守るという公論が辛くも守られた成功体験である。

 気になったのは安保条約を成立させた後、

 岸信介首相はテロリストに刺されたと書いてある。

 ここでもテロリストという言葉を使うが、

 政敵を排除する暗殺と政治家の失政を問うクーデターが同じなのだ。

 政治家に危害を加える者をテロリスト。

 一般人を巻き込む地下鉄サリン事件もテロ事件。

 こんなに幅の広い言葉を使って

 二二六の軍人を貶める意図はなんなのだろうか。

 コラムでは、反米路線、北朝鮮礼賛へ態度を変えた

 新聞などを扱っている。

 

奇跡の経済復興

 昭和三十五年、所得倍増計画という政策を打ち出した。

 加熱したマスメディアと大学教授、労働組合の目をそらせるためだ。

 国民を富ませる公論が実施された成功体験である。

 コラムは、公害を扱っている。

 私の尊敬する武田邦彦教授は、公害を引き起こした企業は、

 国の基準を守っただけに過ぎないとして、

 責任をとるべきは国だったと言っている。

 私は、このときから国家というか官僚が

 責任を国民や企業へ押しつける公論とは真逆の行動を

 取るようになったと見ている。

 基準を設けた国ではなく、企業国民が詰め腹を切らされた

 失敗談である。

 

テレビの登場

 テレビ事業に参入してはいけない企業がある。

 それが新聞や雑誌だ。

 先進国では、新聞がテレビを批判し、

 テレビが新聞を批判するという健全な状況を保っている。

 日本は、そういう考えを持っていなかったのか、

 新聞とテレビが一致団結して

 報道の自由と知る権利を使いたい放題にしている。

 先見の明とまではいかないだろうが、

 メディア事態がプロパガンダ機関になることを

 警戒できなかった失敗談であろう。

 

日韓基本条約

 昭和四十年、日本と韓国は日韓基本条約を結んで国交を正常化した。

 このとき、併合時代の朝鮮人に対する保障を行うので資料を出して欲しい

 と願い出たところ、個人への保障は韓国政府が行うから、

 日本はその金を含めて一括して支払うよう回答した。

 ここで覚えて欲しいのは、朝鮮人への保障を韓国政府がすると答えたことだ。

 朝鮮人には北朝鮮の人も含まれるが、

 韓国政府は、北朝鮮への保障をしないまま、個人への保障もしないままだ。

 今ある慰安婦問題や応募工(いわゆる徴用工)問題は、

 韓国政府が個人への保障をするとした約束を破ったためだ。

 日本はやるべきことをやったが、韓国政府の怠慢を予想できず、

 また後から蒸し返して賠償の再請求という最悪の強請に至った。

 韓国との付き合い方を考える最高の見本であり、失敗談である。

 

ゾンビのように蘇る自虐史観

 ここでは具体性に欠く内容が並べられている。

 昭和四十年代に、日の丸・君が代天皇靖国神社にアレルギー反応を

 起こす人たちが現れたという。

 戦犯という言葉を遣い、愛国心を否定したというのだが、

 誰のことかさっぱりわからない。

 おそらく存命する人たちなのだろう。

 国家の歴史性を否定してしまうと、

 明治天皇の出した五ヶ条の御誓文にある公論も否定される。

 公論を否定してしまったら、国民は守られもせず、貧しくなるばかり。

 自虐史観は根深い失敗談である。

 

朝日新聞が生み出した国際問題

 国際問題とは、歴史に関わる問題である。

 「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「靖国神社参拝」は、

 朝日新聞が嘘を報じたために、日本が中国・韓国と揉めることになった。

 不利になる嘘を吐いて、相手国を有利にするというのは

 まったく理解できない神経であるが、

 この目的が日本の弱体を目指しているのなら理解できる。

 中国やソ連のために安保改正を邪魔した人間と同じなのだ。

 公論に反する愚かな行いであり、失敗談であろう。

 コラムは、天皇陛下靖国参拝について書かれている。

 なにぶん陛下への事なので推察に留まっている。

 

戦時徴用工強制労働の嘘

 在日朝鮮人在日韓国人は、強制連行されたという嘘の主張をする。

 戦時徴用として国内の工場に派遣した事実はあるが、

 日本中学生や女学生にも行われていた。

 日本の学生には給料が払われなかったが、

 朝鮮人労働者には正規の給料が支払われた。

 強制連行であれば無収入のはずである。

 戦時徴用は終戦前の七ヶ月間だけであり、

 終戦後に朝鮮へ帰国している。

 そして強制連行の嘘の極めつけは、

 昭和三十四年外務省のデータで、

 九十九・九六パーセントの在日朝鮮人・韓国人が、

 職を求めて日本にやってきたということだ。

 しかも、朝鮮戦争の時に密航してやってきたのだ。

 不法就労であって強制連行ではない。

 これを庇うマスメディアや学者の存在が失敗談であろう。

 

反日テロ活動

 中華人民共和国文化大革命で暴れた紅衛兵を真似た

 全学共闘会議と呼ばれる大学生らの行動があった。

 スローガンも全く同じで造反有理(反抗するのは正しい)であった。

 学生が公論から外れた教授や新聞に煽られたのは失敗談であろう。

 そして、ここから過激派グループが生まれ、

 極左暴力集団となりテロ活動を行った。

 テロリストは、革命派が反革命派を攻撃し、

 恐怖で反対意見を弾圧することであるから、

 この場合は、一般人を狙ったり企業を狙ったりしているため

 正しくテロと呼称している。

 これがあるから、百田尚樹が二二六事件の軍人をテロと

 呼ぶことが我慢ならない。

 一緒くたにするんじゃないよ、まったく。

 ともかく、極左暴力集団を生んだのは新聞と大学である。

 ソ連や中国の思惑通りに活動する集団が生まれたことは、

 失敗談である。

 また、それが海外へ飛び出し、世界各地でテロ事件を起こすようになった。

 日本の恥である。

 

沖縄復帰

 昭和四十七年に沖縄が返還された。

 日米安保が関係しており、ベトナム戦争へ戦力を投入する

 基地として沖縄があった。

 またソ連や中国に対して核兵器をちらつかせる必要があった。

 非核三原則を掲げる日本から撤退することで、

 この均衡が崩れる恐れがあり、

 日米安保を改正して、沖縄に引き続き米軍基地を置くことになった。

 非核三原則の問題は、アメリカの原子力潜水艦の登場で解決した。

 アメリカのベトナム戦争アメリカと中国・ソ連との関係、

 日米安保の改正と延長、原子力潜水艦の登場。

 これらが沖縄を返還させた。

 日本人の努力によるものではなかった。

 国土を取り戻せたのは、たまたまだった。

 喜ぶべき結果ではあるが、失敗談である。

 このようなたまたまは金輪際、出現することはないだろう。

 

大国のはざまで揺れる日本

 ベトナムを支援していたソ連に対抗するため、

 ソ連と対立している中国へ接近することを考える。

 そのために日本は中国と国交を回復することになり、

 天皇陛下まで担ぎ出されてしまった。

 他国の思惑のために天皇陛下を利用されるなどあってはならなかった。

 これは失敗談である。

 

「べ平連」の欺瞞

 ベトナムで戦うアメリカに反戦平和を唱えて抗議する団体、

 ベトナムに平和を!市民連合という組織がいた。

 彼らはソ連KGBから資金提供を受け、

 平和活動という隠れ蓑を活かして日本国内で

 企業を攻撃したり、成田空港建設を妨害したりした。

 これはソ連に操られた日本国民の情けない姿である。

 平和という言葉に踊らされている失敗談である。

 

オイルショック

 電力は火力発電に頼っていたため、

 節電する時期があった。

 これを気に日本では省エネルギーの技術が研究されていく。

 これは成功体験になるのではないだろうか。

 

教科書問題

 とある記者の勘違い記事から始まった。

 文科省が歴史教科書に記述された、日本軍の「侵略」を「進出」へ

 改ざんしたと騒ぎ出したのだ。

 当時の文部大臣は内政干渉だと突っぱね、

 国土庁長官も韓国の歴史にも間違いがあると指摘した。

 だが、中国と韓国が騒ぎ続け、アメリカの要望で中国と

 仲良くしないといけなかったせいか知らないが、

 文部大臣は、近隣諸国条項教科書検定へ盛り込んだ。

 このため、中国や韓国にとって都合の悪い歴史を教科書に記述するときは、

 特段に配慮をしないといけなくなった。

 これにより、新聞やテレビに加えて

 教科書までも中国や韓国、ソ連に重きを置くようになった。

 失敗談である。

 

平和ボケ

 平和ボケの証左として超法規的措置を挙げている。

 昭和五十二年にダッカ日航機ハイジャック事件が起こった。

 日本政府は、超法規的措置をもってハイジャック犯の要求を飲んだ。

 身代金を払い、拘留中の凶悪犯を解放したのだ。

 これは世界の非常識なのだ。

 犯罪者に金を払い仲間を解放すればどうなるか、

 日本の政治家はそんなこともわからなくなっていた。

 この超法規的措置を見て、日本人を拉致すれば

 身代金がふんだくれると考えた輩がおり、日本人狙いの誘拐犯が増えた。

 失敗談である。

 

終章

平成

 昭和六十四年、昭和が幕を閉じた。

 新たに平成の御代が始まった。

 皇室に牙をむき出しにする勢力がいる中で、

 御代替わりができたことが、成功体験である。

 

バブル崩壊

 平成元年の消費税、平成二年の総量規制などで

 空前の好景気は終わりを迎えた。

 景気の終わりや政策の失敗を失敗談とみるか。

 このとき失われた世代と呼ばれる人たちを放置したことを

 失敗談とみるか。

 

ソ連崩壊

 共産主義という思想の失敗が明らかになった。

 日本人のみならず人類にとっての失敗談である。

 

 

膨張する中華人民共和国

 共産主義国の中国は、平成元年に天安門事件を起こした。

 自由と民主化を望む学生を戦車でひき殺したりしたのだ。

 この恐ろしい中国は、毎年軍事費を増やしており、

 日本の自衛隊を資金と物量で圧倒している。

 また日本の領海を脅かすように平成二十二年ごろから、

 尖閣諸島の周辺へ中国海警局の船が出没している。

 これを放置すると、世界から見て尖閣諸島は中国のものとなる。

 本来なら軍隊が出動して拿捕するか撃沈するかで解決する。

 自衛権の行使を難しくしているのが、日本国憲法の九条である。

 これを目指し、平和安全保障法制や特定秘密保護法を成立させた。

 このとき反対キャンペーンをしたのが、

 未だに中国やソ連の言いなりになっている人たちだった。

 公論へ辛くも進んでいるが、妨害は多い。

 中国の侵略的な態度に対し、自衛を維持できるかどうかである。

 

狂気の北朝鮮

 核ミサイルを開発することは狂気ではない。

 弱い国が軍事的に優位に立とうとすることは当然である。

 私はむしろ核ミサイル開発を容認したアメリカが

 狂っていると思う。

 アジアの緊張は、中国と北朝鮮が核ミサイルを持ったことで

 さらに増した。

 日本はアメリカに追従していたので北朝鮮に強くでなかった。

 ミサイルを飛ばされても報復すらできない。

 報復によって軍事の均衡を保つことが平和と言えるのだが、

 日本は自ら軍事の均衡を崩し、平和を手放している。

 国民を守るという公論に反する。

 失敗談である。

 

内憂外患

 バブル崩壊後、安い人件費を求めて

 企業は工場を中国へ移した。

 企業が国民を富ますことに反した。

 経済は低迷したままだ。

 少子高齢化社会保障費が増大し、労働者が減り、

 消費税を上げるといい、外国人労働者を入れた。

 政府が国民を富ますことに反した。

 企業も政府も公論がないのだ。

 

憲法改正の動き

 憲法九条は国民を守らない。

 外国人の土地購入規制法。

 国土を外国人に買い占められることを想定していないのだ。

 日本は、土地の所有権が強いので土地を持つということは、

 領土を取られることも同じである。

 どちらも国民を守るために必要な法律である。

 今のところ、失敗談である。

 

未来へ

 平成二十年ごろからインターネットが普及し、

 公論のない新聞やテレビから解放された若者たちがいるという。

 その若者たちが、日本人の精神を復活させているという。

 五十年後の未来が復活した日本人の国であることを

 願いながら百田尚樹は締めくくった。

 

総評

 まず、この本を書くきっかけとなったのは、

 百田尚樹ケント・ギルバートとの会話である。

 そこで、日本を好きになる歴史教科書が書きたいということになった。

 ところが、編集の有本香と日本の歴史教科書を調べるにつれ、

 自虐史観への対抗心が沸き上がったのだと思われる。

 百田尚樹がぜひ読んでくれと勧める、

 十一章から終章までの流れは、WGIPに洗脳された

 大人達へのあからさまな敵意があった。

 これを読んで日本人を好きになるだろうか。

 私は途中から日本人の情けない部分に辟易し、

 とてもではないが好きになるというコンセプトを

 保っているようには思えなくなった。

 歴史の事実だからと言い訳もできよう。

 ただ、その時代時代で反論し、抵抗した大人はいなかったとも

 取れるような抜き出し方だった。

 自虐史観の教科書に対抗するあまり、誇り高い日本人を書かなかった。

 私が当初期待したのは、そういう自虐史観に埋もれた

 勇気ある日本人の姿だった。

 正直、期待はずれだったし、裏切られたような気分だった。

 若者に期待するのはいい。

 でも、その若者を生んだ親はどうなのだ。

 その親の親はどうなのだ。

 鳶が鷹を生むわけでもあるまいに。

 私なりに日本国紀をどう活かそうかと考えた結果、

 公論で列挙された歴史を分類するという作業だった。

 失敗談だらけの列挙で、この歴史を好きになるだろうか。

 日本人の精神とやらが、一度でもなくなったのなら

 すべての若者はWGIPの申し子である。

 おそらく日本人のすべてがWGIPに洗脳されたわけではない。

 それを認識して洗脳されないように不断の努力がなされてきた。

 日本人の精神を繋ぎ止めてきた人がいるはずなのだ。

 私は、百田尚樹の日本国紀にそれが書いてあることを望みすぎていた。