書評『天皇は本当にただの象徴に落ちたのか』竹田恒泰

実はよく知らない天皇という存在

恥ずかしながら、私が天皇を意識し始めたのは

フランスへ語学留学したときだった。

フランス語は身に付かなかったけど、

世界で日本だけ変わってるかもしれない、

という妙な確信だけを学んで帰った。 

ホームステイ先のムッシュに、

お前の国の皇帝はなにをしてるんだと聞かれた。

電子辞書で皇帝というものを知り、

皇帝らしいことはしてないと答えた。

なにか仕事をしているだろうと聞かれて、

してないと答えた。

ムッシュは大笑いしていた。

私は、知らないと答えるべきだった。

責任転嫁させてもらえば、

天皇がなにをしているのか教えてこなかった教育のせいである。

それ以来、私は天皇陛下に後ろめたさを持っている。

一人のフランス人に間違った情報を与えてしまったからだ。

そういう経緯があり、天皇を誤解したくないという気持ちがある。

その気持ちが、この本を手に取らせた。

象徴という無職っぽさ

社会について学んだ気がしたのは中学の公民までである。

高校で世界史を専攻したため

日本のことについて思い返すと中学まで戻るのだ。

不幸なことに私の学年は荒れていて

教師を馬鹿にする馬鹿な同級生ばかりだった。

でも、今思えば日本は悪いのだと熱心に教える教師だったとわかる。

そんな教師の授業はつまらなく、苦痛でしかなかったのだ。

私は、従軍慰安婦の話でクラスがざわついたのを覚えている。

ある女子が、兵隊の相手とはなんだと冷やかしのつもりで聞いた。

セックスですと教師が答えると、男子中学生は大声を出して騒いだ。

これで授業は中断した。

これは、私の中で情けない日本人像の記憶である。

そんな先生だったからか、

天皇のことを熱をもって教えてもらったことはない。

人生で唯一公民を学ぶ機会だったのに

それから大学生まで、私の中で天皇は無職な存在だった。

宮沢俊義と八月革命説

留学のあと、歴史について学び直したとき日本国憲法無効論を知った。

現在の日本国憲法は、

GHQが作った憲法であり正当な日本の憲法ではない。

大学を卒業してから、憲法についてはそういう認識だった。

そして、本書に出会った。

本書は、宮沢俊義教授の八月革命説を

論理で突き崩すことを目的としている。

八月革命説とは、革命とある通り、

国家の元首が替わったことを意味している。

この説によると、

敗戦を機に天皇から国民へ主権が移動したというのだ。

この説の不思議なところは、

革命なのに天皇が存続していることだ。

私が世界史で学んだ革命では、

王室は滅び王族は殺されている。

そして、王室を中心とした伝統は否定されていた。

天皇が残り、伝統も残った日本の現状をふまえ、

著者の竹田恒泰は、

大日本帝国憲法からの憲法改正説の立場を取っている。

というわけで、

小難しい憲法の文章がたくさん出てくるので手強い本だった。

先に言っておくと、この本で天皇を嫌いになることはない

憲法学者を嫌いになることは保証する。

根本建前の争い

宮沢教授が元首の殺されない革命を革命と言い張るのは、

憲法改正には限界があり、

その限界とは憲法の根本建前の変更であるというのだ。

根本建前とはなにかと言うと、主権の所在と理解されている。

天皇主権から国民主権へ、

つまり神権主義から民主主義へ大転換したと言いたいのである。

政治形態の変更であるから、大転換と言えば大転換である。

神権主義の法律では民主主義を運営できないのだから当然だ。

また、天皇天皇としての正当性を持つのは神授説であり、

天皇天照大神から主権を与えられているという。

この大転換によって、

伝統の否定と伝統から切り離された天皇の死を意味するのだ。

これで一応の革命の面目を保っている。

ただ、素人から見ても

結論ありきで論を展開しているようにしか見えない

これらに対して、竹田恒泰はそもそも天皇主権であったか、

国民主権はなかったかを検証している。

天皇は権力者だったか

第二章では天皇が民主主義を無視した権力者であったかを

実務の観点から検証している。

結論は、帝国憲法成立以降、国務大臣の輔弼を必須とすることで

天皇の独断専行を防止し、民主主義が担保されていた

また拒否権についても、数少ない実例を上げて検証しており、

拒否権が行使された場合も国務大臣が交代するだけで、

天皇の自由にはならなかった。

ここで現代の日本国憲法の問題点も指摘している。

もし内閣が違法な法律の裁可を天皇へ求めたとき、

それを拒否することは

天皇主権を行使したことになるのかということだった。

民主党が大勝して、外国人参政権という憲法違反の法律を

鳩山政権が掲げていたことは記憶に新しい。

もし外国人参政権が国会で成立したとき、

今上陛下は拒否しただろうか。

国民固有の権利を侵害する法律を時の天皇が止めるというのは、

最後の砦としてあってもいいのではないかと思う。

天皇は神であったか

第三章では理念としての天皇について検証している。

帝国憲法教育勅語を起草した井上毅は、

皇祖を神武天皇、皇宗を歴代天皇としていた。

井上毅山県有朋へ手紙で

宗教っぽい言葉を避けたと書いている。

憲法勅語に神話を持ち込まず、

宗教や哲学などの争いが起きないようにした。

この内容を読んで私はすごく驚いた。

政教分離してるじゃんと思った。

井上毅は、中学の歴史で、

憲法を作った人としか紹介された記憶がない。

現代にも繋がる深い考えを持った人だった。

 

つまり、天皇統治の根拠は、神や神話ではなく、初代天皇から連綿と受け継がれてきた歴史の事実に由来するものと読むほかないであろう。このように、少なくとも帝国憲法天皇の地位の根拠が神に由来するとは記しておらず、むしろ、歴史に由来すると明記しているのである。天皇の地位の根拠を歴史の事実に求める見解は、帝国憲法下における統一された公式見解であったことを確認しておきたい。 209、210ページより

帝国憲法を作った人たちが、

神話由来ではなく歴史由来であることを徹底した。

ここに神勅を根拠にした天皇主権は成り立たない

だから根本建前の変更も起きていない

宮沢俊義教授の論拠は粉微塵になった。

民主主義はなかったのか

第三章にてもう一つ重要なことがある。

人間宣言についてだ。

人間宣言という字面だけ覚えていて、私は内容を知らない。

実は、この宣言の前に、五箇条の御誓文が挿入されているのだ。

しかも、それを命じたのは昭和天皇だった。

五箇条の御誓文は、話し合いで決めようという

まさに民主主義の宣言であった。

宮沢教授は、神権主義から民主主義へ変わったというが、

明治維新の時点で民主主義は実践されていた

昭和天皇の発言の抜粋を引用したい。

あの宣言の第一の目的は[五箇条の]御誓文でした。神格(否定)とかは二の問題でありました。当時、アメリカその他の諸外国の勢力が強かったので、国民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治大帝のおぼしめしであり、それが五箇条の御誓文です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではないことを示す必要が大いにあったと思います。(はじめは)国民はだれでも知っていると思い、あんなに詳しく書く必要はないと思いました。当時の幣原喜重郎総理とも相談、首相がGHQマッカーサー最高司令官に示したら『こういう立派なものがあるとは』と感心、賞賛され、全文を発表してもらいたい、との強い希望がありましたので、全文を示すことになったのです。あの([いわゆる]人間宣言)は、日本の誇りを国民が忘れると具合が悪いと思いましたので、誇りを忘れさせないため、明治大帝の立派な考えを示すために発表しました。  226ページより

これも中学の時に習わなかった。

戦争が終わって、日本は民主主義になったと教わった。

大嘘を教えられていたのだ。

 

まとめ

本書は、自分の結論のために天皇を神にしたり、

五箇条の御誓文を無視する憲法学者を知ることができる。

読んでいてムカムカしてくるのは私だけだろうか。

八月革命説は、

神権主義から民主主義への転換を論拠としているが、

結論ありきの暴論であることがよくわかる内容となってい

読み所はほかにもたくさんある。

古事記日本書紀などから天皇の解説がある。

憲法に限らず、アメリカ側の動きなども書いてある。

私のような読書嫌いで一週間かかる内容だ。

私の書評で興味を持っていただけたら幸いである。