神話観

様々な宗教の神話を比べたりできるのは、多神教ならではだと思う。

古事記ギリシャ神話、北欧神話をかじったところ、似ているところがあった。

同一の民族が作った訳でもないのに、なぜ主神には鳥が寄り添うのであろうか。

日本神話の主神は誰かということにもなるが、私は初代、神武天皇であると考えている。

すると、神武天皇には八咫烏、ゼウスには白鳥の座、オーディンにはフギン・ムニンのワタリガラスがいる。

鳥は主神に仕えるものなのだろうか。それとも主神が鳥を従えるものなのだろうか。

もう一つ、類似点がある。蛇退治だ。

八岐大蛇やギリシャ神話に現れるメデューサヒュドラなどの怪物、北欧神話ヨルムンガンドがそうだ。

蛇はもともと、その土地の地母神であると考えられる。

鳥が空を表し、蛇が大地を表すのは古代の人類がもつ共通の価値観なのだろうか。

蛇は土着の神であると考えると、鳥は外来の神と考えられる。

そう考えると、外来の神が地母神と争い主導権を握ったと解釈できる。

「歴史は勝者が残すもの」という原則に従えば、この三つの神話は主神のための神話であると考えられる。

まだしっかり勉強していないが、エジプト神話の太陽神ラーは鳥の頭を持った人物として描写されている。

ファラオは「ラーの息子」とされ権威を神から保証されている。

エジプト神話には明確な神の序列はないが、王の権威を保証しているあたりラーは別格、つまり主神であると思われる。

エジプト神話にも蛇の怪物がいる。ラーの乗る太陽の船の運航を邪魔する最大の敵として大蛇アペプが存在する。やはり蛇は敵なのだ。

ただ、神話は多様で一概に鳥対蛇の構造ではない。

モアイで有名なイースター島鳥人も素晴らしい。エジプト神話のラーと同じで鳥の頭を持つ人間として描かれているが、蛇と対立していない。

ギリシャ神話でも、伝令の神ヘルメスは翼と蛇の杖を持っている。

エジプト神話では、運命の女神シャイは蛇の姿だし、豊穣の女神レネネトはコブラの頭をしてる。

蛇を完全な悪者にしないのが、古代人のマナーなのかもしれない。

極めつけが、アステカ神話ケツァルコアトルだ。ウィキペディアによると、古代ナワトル語で「羽毛ある蛇」という意味の名前を持っている。モデルとなった人物はライバル神の陰謀で焼身自殺することになるのだが、その遺灰から鳥が生まれて飛び立つという話がある。

鳥と蛇が一つの神の中に同居するという珍しい存在だ。

この神と対立しているのはジャガーで、民族性というか地域性を表している。

怪物枠として現れるのは海の中にいるワニの女神、その名も大地の怪物シパクトリ。

海の中にいるのになぜだと思うが、後に神によって引き裂かれ大地になるからだ。

このワニの女神は、水の蛇ともワニ頭の魚とも言われているらしい。

怪物は鱗持ちと決まっているらしい。

私は、神話は鳥と蛇を核にして作られていると考えている。

そして古代の人たちがなぜ鳥と蛇を中心に神話を作ったのか知りたい。

最初は一つの民族だったのかと思うほど、共通の価値観を持っているようにも見える。

もしくは、ある一つの強大な民族が世界の土着の民族と交わったのかとも思える。

とりあえず今日はここまでにしておく。

 下の書籍は、私が蛇の重要性に気づくきっかけとなった本です。

山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫)

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